When you wish upon うた

歌に願いを

「ミアレジワンマンのチケットが外れた」

ランティス祭りが見せてくれたもの

 先日ランティス祭りで、Mia REGINA=ミアレジのステージで会場がドッと湧くのを見た。盛り上がることを期待して現場にいて、実際にそうなったのをこの目で見ることができたので、夢のような瞬間だった。が、それは同時に「あぁ、この音楽と景色を体感してもらって初めて人の心が動くんだ」と痛感した瞬間でもあった。

 

 

怪文書 ≠ 集客力

 冷静に考えてみて当たり前のことではあるが、好きなアーティストのライブに人を呼ぼうと考えた時、怪文書はてなブログに投稿したところで人っ子ひとり呼べないだろう。念のために書くと、怪文書とパワーのある文章は違う(と私は思う)。本当に楽しかったときのことを書く場合、何のエネルギーも要らないはずだ。ただ濁流のようにあふれてくる気持ちを殴り書きにするだけ。逆に言えば、捻り出そうとした時点で心は空である。ハートよりも先に脳ミソが働いてしまっている。

 そんな状態でくだらない御託を並べて書いた文章は、執筆者の頭が沸いていると言われるだけである。読み手にも心が動いている様が伝わらず、コンテンツへとフォーカスされずにウィンドウを閉じられる可能性が高い。ゆえに、その先にあるはずの「読んでくれた人の行動モチベーション」へと繋がらない。

 書いた本人をここまで突き動かすコンテンツは一体何なのか――記事を読んだ人がそう思ったとき、初めてオタクの文章は怪文という域を脱するのではないか。

 

ミアレジが爆ける可能性

 あの日、大勢の観客の前で行われたミアレジのパフォーマンスは100点満点中5000兆点だったと思う。破格の待遇だったし、何よりも本当に楽しかった。セトリだけ見てあぁだのこうだの言っている人たちには決して見えることのなかった世界がそこにあった。直前のリハーサルがなかったとも聞いていて、これが本当だったとすれば、あのときに見たステージは一発勝負で正真正銘本物のポテンシャルだったことになる。

 これまでミアレジをどう捉えていたか正直に言ってしまうと、大変失礼な書き方になるけれども「本物に化ける」可能性があるユニットとして考えていた。もちろん、実力はあると感じていたし、単に知名度が乏しいだけで、この先必ず多くの人を魅了するアーティスト・ユニットになると信じていた。だからこそ、小さなライブでも足繁く通っていた。

 いま誰かにミアレジをオススメするとしたら、何よりも先に、あの日の"化け物"じみたランティス祭りでのステージをまず最初に見せたいと思う。あのポテンシャルを見たら、誰もがワンマンに興味を持つだろう。もっともっと楽しいライブがあるかもしれない、と。

  

ワンマンへ向けて

 仮に「ワンマンをお客さんで一杯にする」という目標が立てられたとして、そのゴールが誰によって成されるかというと、やっぱりそれは演者本人たちが実現するに違いない。赤の他人であるところのファンは、最終的な判断材料にはならない。ランティス祭りでのステージを見て、はっきりとそう思った。*1

 ここまで長々と「チラシの裏」をやってきたが、つまるところ、本当にミアレジを応援するのであればこんなブログなぞ書いている場合ではないのだ。自信を持ってミアレジを勧めることができるようになったのだから、今「ワンマンをお客さんで一杯にする」ために最も必要なことは、とにかくワンマンの先行抽選に応募するようにありとあらゆる人へと声をかけることだと思う。

 

 

 現状この公式情報のツイートをRTしてくれている人は50人ほどで、この人達は確実に先行抽選に申し込んでいると考えよう。そして願わくば、ランティス祭りの様子を見てワンマンを申し込んでくれた人がもう50人いるとする。渋谷aubeのキャパシティは300人ほどらしいので、ひとり2人も呼べばパンッパンの客席が生み出せるはずだ。3人は余裕で呼べる。そうだろう。絶対に呼ぶ。なんなら10人は呼ぶ。来て後悔させない、というのはもちろんだが、なんなら来なかったことを後悔させてやる

 

 

 

 

 

それでようやっと言えるようになるのだと思う。めちゃくちゃ悔しい顔をして言えるのだ。

「ミアレジのワンマン、チケ外れたわ。」

 

 

 

*1:こう考えた時、結局のところ僕(ら)がやっていたことというのは"誰かの役に立っている"気持ちを得たいだけのう○こ垂れ流しに過ぎない、という結論が得られてしまった。自分の頭で考えられるようになっただけ大人になったのだと思う。クソガキからガキぐらいにはなれたと思いたい。「ようやく目が覚めた」と言うと少しは体が良くなるので、そういうことにしよう。