When you wish upon うた

歌に願いを

バーチャル山月記

 

 秋葉原出身の李徴は、たいへん物知りで、非常に才能にも恵まれていたが、平成の最後の年、まだ年少でありながらもTwitterの本人確認試験に合格して、その名前をTwitter著名人としてタイムラインに載せられることになり、さらにはFANBOXやSkebなどで人々の欲求をつかさどる絵描きになった。しかし、その性格は、頑固で人と調和せず、プライドがとても高く、下っぱ絵師の地位では満足しなかった。


 いくらも経たないうちに絵師としての活動を落ち着かせた後は、故郷に帰ってひっそり生活し、他人とのつきあいを絶って、ひたすら二次創作ばかり作っていた。身分の低い非正規雇用者になって、長い間、品のない上司の言いなりになるよりは、同人作家として有名になって、その名を死後インターネットに100年先まで残そうとしたのである。
 しかし、同人作家としての名は簡単には広まらず、生活は日を追って苦しくなっていった。李徴は、だんだん追いつめられ、焦ってきた。
 このころから、見た目も厳しく険しくなり、顔の肉がそげ落ち、骨が飛び出し、目の光だけがむやみに鋭く光って、以前Twitterで本人照合に合格した頃の、ほおのふっくらとしたプロフィール自画像の面影は、どこにも見ることができなかった。

 

 

 

 


 数年の後、貧乏暮らしに耐えかねて、妻子の生活のために、ついにあきらめて、再び東方へと行き、頑なに手を出さなかった成人向けジャンルの作品に関わることに決めた。とあるエロゲーのデザイン職をもらうことになったのである。一方、これは、自分の絵描きとしての将来に半分絶望したためでもある。
 以前、同期であった仲間は、もうはるか高い地位に進み、彼が昔、のろまでにぶい平凡なやつと思ってまったく相手にもしなかった連中の命令をありがたく受けなければならないことが、過去の秀才李徴の自尊心をどれほど傷つけたかを想像するのは容易なことである。結局彼は、仕事にありつけたところでふさぎ込んでしまい、何をしても楽しい気分になれず、その狂気じみてわがままな性格をますます抑えにくくなっていった。

 

 

 


 一年後、仕事が安定しつつあるかと思えた時期、李徴はとうとう発狂した。ある日の夜中、急に顔色を変えて寝床から起きあがると、何か訳の分からないことを叫びながら、そのままパソコンのある部屋へと引きこもり、闇の中に煌々と輝くディスプレイに張り付いたままになった。
 彼は二度と外へと出てこなかった。どんなSNSを探しても、何の手かがりもなかった。その後、李徴がどうなったかを知っている者はだれもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の年、インターネット治安維持を仕事としていた東京の袁という者が、上司の命令でYouTubeを監視していた時のこと。袁がまだ明るいうちにモラルハザードな動画を検索しようとしたところ、上司が言うには、「オススメ動画には切り抜き動画が出てきがちになるので、一度の生配信クリックが検索の妨害になる。すぐに動画の閲覧をせず、監視重点ワードが出るまで、指示を待つのが良いだろう」と。しかし袁は、他の監視員たちが何人もいるから大丈夫だろうと、上司の言うことを聞かずに動画閲覧を始めた。手渡された検索ワードを灯台にして、YouTubeの大海原を通っていったとき、一人のVTuberの生配信が検索結果の中から躍り出た。VTuberは、ピンク髪のツインテール3D美少女で、今にも袁にクリックさせんとする"性癖に刺さる容姿"だったため、さっとディスプレイを上司のいない方向へと傾けて、隠れてクリックし、すぐさまその3Dモデリングを褒めるコメントをした。袁が仕事に使っていたChromeは、本人のGoogleアカウントが同期されていたので、袁はあろうことか本名でコメントしてしまった。


 すると、VTuberからは「えっ!?」という小さく野太い悲鳴と共に、「危ないところだった。」と繰り返しつぶやくのが聞こえた。その容姿からは想像しがたい低い声に、袁は聞き覚えがあった。驚きながらも、彼はすぐに思い当たって、チャットで叫んだ。

 

 

 

 


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その声は、我が友、李徴氏ではないか?

 

 

 

 


 袁は李徴と同じ年に、Twitter陰キャpostで有名人になり、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しいインターネッ友であった。おだやかな袁の性格が、けわしい李徴の性格とぶつからなかったためだろう。
 画面の中からは、しばらく返事がなかった。100人近くいる視聴者をよそに、忍び泣きかと思われるかすかな声がときどき漏れるだけである。しばらくして、美少女が答えた。「お察しのとおり、私はあなたの知っているその人です」と。

 袁は我を忘れ、オフィスチェアをデスクに限界まで引き寄せ、ディスプレイへと顔を近づけ、ガワのかわいさを再確認し、そして、何故にその仮想世界から現実へと出て来ないのかと再びチャットで問いかけた。李徴の声が答えて言う。

 「ご覧のとおり、自分は今やVTuberの身となっている。どうして、おめおめと縁を切った人たちの前に、バーチャル美少女受肉した姿をさらせようか」と。自分が姿を現せば、必ず君たちに畏怖嫌厭か……さもなければ可愛すぎる自分にガチ恋の情を起させるに決まっているからだ(そうに違いないと人差し指を立てながら、えっへんというモーションをするツインテールの美少女がそこにはいた)。しかし、今、旧友との偶然の邂逅を経て、そうした懸念をも忘れる程に懐かしい。どうか、この生放送のあとで、我がチャーミングな今の外形を厭ず、かつて君の友人・李徴であったこのバーチャルな自分とVRChat上で話を交してくれないだろうか……

  

 

 

 後で考えれば不思議だったが、この時、袁は、この超架空的な出会いを実に素直に受け容れて、彼女/彼が偽物である可能性を少しも怪もうとしなかった。袁は仕事を忘れて、ディスプレイの傍に立って、Oculus Quest2を装着し、指定されたVRChatワールドのプライベートインスタンスを作成し、すぐさまダイブした。暫くして、送られてきたフレンド申請を承認すると、すぐにバーチャルツインテール美少女・李徴と相対した。ここで袁の声を聞くことになった李徴は、ついに号泣した。

 今はびこる二次創作界隈の噂、旧友の消息、袁の現在のストリーマーとしての地位、それに対する李徴の賞賛。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で語られた後、袁は、李徴がどうして今の姿へと受肉するに至ったかをたずねた。桃色の二尾をふりふりしながら、美少女アバターは次のように語った。 

  

 

 

 

 

 今から一年程前、自分がインターネットに再進出し、YouTubeにお絵かき動画をアップロードした夜のことだった。一睡してから、ふと眼を覚ますと通知がきており、どうやらコメント欄で誰かが自分を呼んでいるようだった。コメントを見ると、いくつものアカウントが、画面の中からしきりに"仮想"へと自分を招いているのである。覚えず、自分はそれぞれのコメントに対してリプライし始めた。無我夢中でタイピングをしてゆく中に、何時しかAmazonのカートで何かを購入し、しかも、知らぬ間に自分は左右の手でOculusコントローラーを掴んで、仮想空間をひた走っていた。何か身体中に力が充みち満ちたような感じで、軽々と物理オブジェクトを跳び越えて行った。気が付くと、手先やひじのあたりがつるつるに脱毛しているらしい。ホームワールドに戻りHQミラーに姿を映して見ると、既に自分が動画で描いていたピンク髪のツインテール美少女となっていた。自分は初め、眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。 

  

 どうしても夢でないと悟らねばならなかった時ーー良くも悪くもVR空間に囚われてしまったのだと理解した時、達成感が湧いてきたのだが、次第に茫然としてきた。そうして恐れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く恐れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。わからなかった。全く何事も我々凡人にはわからないのである。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもの、そして凡人のさだめだ。自分は直に、二度とリアルの生活には戻れない意味での「死」を感じた。しかし、その時、眼の前を一匹の美しいフルトラッキング・バニーガールが駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の理性は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分はバーチャル空間に溺れ、フルトラッキングウェアラブルバイスオーディオインターフェース、加えてラベリアマイクやダミーヘッドマイクなど、さまざまな機材に囲まれていた。これがバーチャル美少女受肉した際の、最初期の経験であった。

 

 


 それ以来、YouTubeでもその3Dモデルを用いて配信活動を始めた。非常なまでにちやほやされた。ちやほやされるために、今までにどんな配信を繰り返してきたか、それは恥ずかしくてとても語れない。ただ、一日のうちに必ず数時間は、現実を直視する心が戻ってくる。そういうときには、以前と同じく、難しいことを考えたり、「黒棺」の詠唱をそらで言ったり、そういう行為で気分を紛らわせた。その心で、バ美肉VTuberとしての自分の浅はかな行いの軌跡を見て、かつての栄光と照らし合わせながら自分の運命を振り返るときが、最も情けなく、恐ろしく、腹立たしい。しかし、その我に帰る数時間も、日がたつにつれてだんだん短くなっていく。以前は、どうしてVTuberなどになったかと疑問に思っていたのに、この間ふと気がついたら、おれはどうして以前バーチャルに没入していなかったたのか、と考えていた。これは恐ろしいことだ。あと少したてば、おれの中の本来的なリアルの心は、VTuberとしての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょうど、ニコニコ動画がだんだん他の動画SNSのなかに埋もれていったように。そうすれば、しまいにおれは自分の過去をすっかり忘れ去り、一人のVTuberとして配信に狂い回り、今日のように生放送で君と出会っても、たくさんの視聴者の中からそれが友であるともわからなくなり、君がスパナ持ちからBANを食らってもなんの悔いも感じないだろう。

 そもそも、バーチャル美少女でも生身の男でも、もとは何かほかのものだったんだろう。初めはそれを覚えているが、だんだん忘れてしまい、初めから今の姿だったと思い込んでいるのではないか?いや、そんなことはどうでもいい。おれの中のリアリティがすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほうがおれはしあわせになれるだろう。それなのに、おれの中の人間的な感覚は、どういうわけかそのことをこの上なく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、悲しく、切なく思っているだろう!おれが恵まれた人間だった記憶のなくなることを。この気持ちはだれにもわからない。おれと同じバーチャルストリーマーとなった者でなければ。ところで、そうだ。おれがすっかり現実的な存在でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。


 袁は、息をのんで、VRCの中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続けて言う。

 頼みというのは、ほかでもない。自分はもともと絵師として名を残すつもりでいた。しかし、その目的がまだ達せられないうちに、こういう数奇な運命を辿ることになった。昔作った絵は数百枚、当然のことながら、その一部はまだインターネットにはアップロードされてはいない。置いてきた漫画の原稿の行方ももう今ではわからなくなっているだろう。ところで、そのうち、今もなおローカルに保存しておいたものが数十作ある。これらを君のハードウェアに記録したうえで、外の世界へと伝えてほしいのだ。なにも、これによって一人前の作家のふりをしたいのではない。出来ばえは別にして、とにかく、財産を食いつぶし、気を狂わせてまで自分が生涯こだわったものを、たとえ少しでも後の世に伝えなくては、死んでも死に切れないのだ。

 袁は社用PCに命令をして、VRCワールド上の声の言う通りに、クラウド上にあるプライベートフォルダを探し当て、その中にある画像データをローカルに保存させた。

 李徴の漫画や絵は、その美少女アバターの姿に似た主人公を題材としたものが多く、長いもの・短いもの合わせて三十編ほど、画風は今風で、線が細く淡い色合いを特徴としており、オリジナリティにも優れ、ちょっと見ただけで、作者の才能が並みではない、と感じさせるものばかりである。しかし、袁は感心しながらもぼんやりと次のように感じていた。なるほど素質としては一流であることはまちがいない。しかし、今のままでは作品として一流になるのには、どこか(非常に微妙な点で)足りないところがあるのではないか、と。


 昔作った絵を手渡した李徴の声は、突然、自分自身をばかにするような調子に変わって言った。恥ずかしいことだが、今でも――こんなみじめな姿に成り下がった今でも、おれは、おれの画集が日本のサブカル文化人たちの机の上に置かれている様子を、夢に見ることがあるのだ。VRCの中で横たわって見る夢にだよ。笑ってくれ。絵師になり損なって、己の承認欲求のためにバーチャル美少女になった男を。(袁さんは昔、青年だったころの李徴の、自分をばかにする癖を思い出しながら、悲しく聞いていた。)そうだ。笑い話のついでに、自分の今の思いを即席の"絵"にして、君にくれてみようか。この3Dの身体の中に、まだ、昔の李徴が生きている証に。
 そうやって提示されたURLを通して、袁は再びクラウドサービスにアクセスした。PCにダウンロードされたのは、本来の李徴の姿を正確に模したvrmデータだった。

 

 

 

 


 さて時間はというと、バーチャル空間では全くわからない。少なくとも、上司がこちらに向けている目は冷ややかであろう。足早と椅子を立った同僚たちの地面を蹴っていく音が響き、人が少なくなったフロアの間を抜ける冷たいエアコンの風が、もう退勤が近いことを教えてくれていた。袁はもう、事柄の不可解さを忘れ、おごそかな気持ちになって、このバーチャル美少女受肉者の不幸を嘆いた。李徴の声は再び続ける。


 なぜこんな運命になったかわからないと、さっきは言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たる理由がないわけでもない。まだリアルな人間であったとき、おれはできるだけ人とのつきあいを避けた。人々はおれに対して「えらそうにしている」「態度がでかい」と言った。実は、それがほとんど自分を恥じる気持ちに近いものであることを、彼らは知らなかった。もちろん、以前、"期待の新人"と言われた自分に、高いプライドがなかったとは言わない。しかし、それは「こわがりのプライド」とでも呼ぶのがふさわしいものであった。おれは絵によって名を後世に残そうと思いながら、積極的に先生について学んだり、自分から目的を同じくする絵の友とつきあって能力を磨きあうことをしなかった。かといって、また、おれは凡人にまぎれて生きることにも満足しなかった。どちらも、おれの「こわがりのプライド」と、「えらそうな恥ずかしがり」とのせいである。自分に才能がなかったらと心配なために、努力して能力を向上させようともせず、また、自分には才能があると半分は信じていたために、凡人の中にまぎれてぼんやり生きることもできなかった。おれはだんだん世間や人とつきあわなくなり、悩み・苦しみや恥ずかしさによってますます自分の心の中にある「こわがりのプライド」を大きくさせてしまった。「人間はだれでも女の子になれるのであり、その精神性は、その人の性格や心のあり方によって左右されるのだ」と聞いたことがある。おれの場合、この「えらそうな恥ずかしがり」という性格がピンク髪のツインテール美少女だった。ピンク髪のツインテール美少女だったのだ。これがおれをメスにさせ、結果的に妻子を苦しめ、友人を離れさせ、最後には、おれの外形をこのとおり、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、まったくおれは、おれの持っていたほんの少しの才能をむだに使ってしまったわけだ。「人生は何もしないでいるには長すぎるが、何かをするには短すぎる」などと忠告の言葉を口先だけでもてあそびながら、実際は、才能が足りないことが表れてしまうかもしれないとのひきょうなおそれと、努力をいやがる怠け心とがおれのすべてだったのだ。才能的にはおれよりもはるかに下でありながら、それを一生懸命に磨いたために、立派な絵師となった者がいくらでもいるのだ。VTuberになった今、おれはやっとそれに気が付いた。それを思うと、おれは今も胸を焼かれるような後悔の気持ちを感じる。おれにはもう創作者としての生活はできない。たとえ、今、おれが頭の中で、どんな優れた構図をつくったとして、それが絵になったところで名声に結びつくわけがない。手放しの称賛がわずかに届くだけなのだ。まして、おれの頭は日が経つごとに少しずつ女の子に近づいていく。どうすればいいのだ。男として浪費されてきたおれの過去は? おれはいてもたってもいられなくなる。そういうとき、おれは、配信に向かうのではなく、VRCワールドのポリゴンの岩を駆け上がり、何もない地平に向かって駄々をこねる。胸を焼くようなこの悲しみをだれかに訴えたいのだ。おれはゆうべも、あそこでバーチャル月に向かってじたばたした。だれかにこの苦しみがわかってもらえないかと。しかし、パブリックで開いたインスタンスだったとて、joinしてきた他のアバターたちは、おれの低いうめき声を聞いて、ただ恐れ、ミュートするだけだ。一人のアバターが何か嫌なことがあってうずくまっているとしか考えない。ボタンを押してジャンプし、地面に突っ伏して嘆き悲しんでも、だれ一人おれの気持ちをわかってくれる者はない。ちょうど、まだリアルを生きる人間だったころ、おれの傷つきやすい心をだれもわかってくれなかったように。おれの額がぬれたのは、VRゴーグルのせいだけではない。

 

 


 やっと辺りが静かになってきたところで、デスクの間をぬって、どこからか、終業を告げるチャイムの音(ね)が悲しそうに響き始めた。
 今はもう、別れを告げなくてはならない、自分に酔わなくてはならないときが、次の配信枠の時間が、近づいたから、と途切れ途切れに李徴の声は言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは私の妻や子のことだ。彼女らはまだ私の地元にいる。いうまでもなく、おれの行いについては知るはずがない。君が職場から帰ったら、李徴はもう死んだ、と秋葉原に住う妻や子に伝えてもらえないだろうか。決して今日のことだけは言わないでほしい。厚かましいお願いだが、彼らの弱い立場をかわいそうに思って、今後とも道端で飢えたり凍えたりすることのないようにとり計らっていただけるならば、自分にとって、これ以上ありがたいことはない。
 言い終わって、美少女アバターから大きな泣き声が聞こえた。袁もまた涙を浮かべ、喜んで李徴の希望どおりにすることを答えた。しかし李徴の声はすぐにまたさっきの自分をばかにする調子に戻って、言った。
 本当は、まず、このことのほうを先にお願いしなくてはならなかったのだ、おれが地に足ついた人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、自分の成功の見込みもない配信活動のことばかりに気をとられているような男だから、こんなふうに身を落とすのだ。
 そうして、付け加えて言う。袁が再びVRCへと帰ってくるときには、絶対にこのインスタンスへ来ないでほしい、そのときには自分が美少女であることに酔っていて、友と見分けられずにメスを出してしまうかもしれないから。また、今別れてから、YouTubeにあるチャンネルにたどり着いたら、チャンネル登録をして、生配信を見てほしい。自分は今の姿をさらに進化させて、ボイスチェンジャーを導入し、もう一度お目にかけようと思う。可愛らしいところを自慢しようとするのではない。みにくい自分の姿を示して、それによって、帰りにまたここへ戻ってきて、李徴に会おうという気持ちを君に起こさせないためである、と。
 袁は、よく作られたパーティクルをまとったアバターに向かって、ていねいに別れの言葉を言い、セッティング画面を開き、VRCを閉じた。アバターからは、また、がまんできないというような悲しみの泣き声が漏れたのがわかった。袁も何度も両手のコントローラーを左右に振り、泣きながらログアウトした。

 

 

 

 

 

 袁が自宅に辿り着いたとき、彼は言われたとおりにチャンネル登録をし、生配信を眺めた。するとすぐに、一人のピンク髪ツインテール美少女が画面の枠外から飛び出してきた。彼は聴いた、もう従来の声を想像できないほどに変わってしまった彼の声帯を。きっといつも通りの挨拶をこなそうとしていたのだろう。しかし、二、三回セリフを噛んだかと思えば、画面外に飛び出していき、二度とその画面に戻ってくることはなかった。