When you wish upon うた

歌に願いを

アイカツ!から考えるクラシック音楽入門

 

 

 はじめに

 いよいよ2月10日(日)に迫ってきましたMusic 4gamer「オケカツ!」。 生演奏機会を渇望していたアイカツの音楽好きたちにとって、待望のイベントではないでしょうか*1

 

www.4gamer.net

 

 「オーケストラ」と聞くと、なかなか敷居の高い世界だと感じる方もいらっしゃるようで、若い世代にその魅力が伝わっているとは言い難いと思います。また、学生時代にオーケストラ部の演奏を聴く機会があったけれども、その悲惨な音程に耳をそむけて以来、クラシックを聴かなくなってしまったという方も散見されます。私もかつて学生オーケストラに身を置いていましたから、これらのことは十二分に理解できます。

 しかしながら、それだけでクラシック音楽の世界への門を閉じてしまうのはまだ早いのではないでしょうか。この言葉を軽率に使うのもいかがなものかとは思いますが、実はクラシック音楽の歴史にはSHINING LINE*が宿っています

 「オケカツ!」を機会に、若い世代の人たちに少しでもクラシック音楽に興味を持ってくれたら嬉しい! そう思って、今回はアイカツ!(旧カツ)のキャラクターたちになぞらえて、クラシック音楽の作曲家たちとそのSHINING LINE*について紹介をしようと思います。私も浅く広い知識で書いたものですから、いくらか間違いがあるかもしれませんので、その場合はぜひご指摘いただければと思います。

  アイカツ!のネタバレも含んでいますので、未視聴の方は念のためシリーズ全178話すべてご覧になってからお読みいただきたいと思います。

 

 

 

 

 

クラシック界のマスカレード ~J.S.バッハヘンデル

 そもそもクラシック音楽の始まりを紐解こうとすると、今から400年以上前の話からスタートしなければなりません。そんなに文量を多くするつもりもないので、今回は超有名なヨハン・セバスチャン・バッハJ.S.バッハさんとゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルさんの話からスタートします。私たちが小学校の音楽などで習うバッハさんは大抵がこのJ.S.バッハさんです。ふたりとも、その卓越した演奏技術と理に適った作曲技術から、近代西洋音楽の礎を築いたと称されています。どのくらいすごいかアイカツ的に説明すると、この人たちがアイカツシステムを作りました。この人たちがいなければ後のアイドルはいません。現実的かつ究極的に言えば名曲『カレンダーガール』が生まれるキッカケを作りました

f:id:Tiepp:20190111224523j:plain

J.S.Bach(1685-1750)

  17世紀から18世紀頃バッハさんの一族は高名な音楽家だったそうです。そんな一族に生まれたJ.S.バッハも教会の音楽指導者や鍵盤演奏家として活躍していました。

 バッハは地域に根付いて教会音楽家として従事していました。一方のヘンデルさんもバッハと同年代に生まれた音楽家でしたが、ヘンデルはヨーロッパを渡り歩き大衆オペラの作曲家としてその名を轟かせていました。

f:id:Tiepp:20190111224909j:plain

G.F.Handel

  アイカツ!の世界観になぞらえると、地元で精力的に活動していたJ.S.バッハは星宮りんごで、大衆音楽を広く知らしめたヘンデルは光石織姫と、無理やり位置づけることができると思います。バッハとヘンデルは生涯音楽家で引退こそしなかったのですが、両者ともに「美しい西洋音楽」のイメージを作り出しました。この2人に憧れて、多くの人々が作曲家になることを目指します。そう、マスカレードを見てアイドルを目指した神崎美月や、神崎美月のステージを見ておしゃもじをマイクに変えた星宮いちごのように。

 

 ヘンデルはこの『水上の組曲が有名かと思います。年始の某格付け番組でよく聴くような。ヘンデルの楽曲群については、残念ながら現在演奏機会が乏しいです。

 

 J.S.バッハさんで有名な曲といえば、これ。新世紀エヴァンゲリオンの劇中でも使用されたチェロの曲、無伴奏チェロ組曲 第1番』*2

J.S.Bach作曲: 無伴奏チェロ組曲第1番

 

 

 

 

 

古典的西洋音楽のアイドル ハイドン

  クラシック界の神埼美月、それがフランツ・ヨーゼフ・ハイドンさんです。ハイドン交響曲の父と呼ばれていて、だいたい108曲ぐらいある*3と言われています。煩悩の数と同じですね。あとで紹介するベートーヴェンでも9曲しか書いていないので、とんでもない創造力だということがわかります。

 しかもその交響曲のひとつひとつは、主題と称された「ある決まった形で現れる音の列」をひとつのモチーフにして、いろんな形で展開しています。このことは後のクラシックに大きな影響を与えていて、だからそこハイドンベートーヴェンの時代へと至るまでに古典的な音楽の形式を確立した重要人物として挙げられているのです。

 ハイドン交響曲だけでなく、弦楽四重奏も有名です。彼が書いた弦楽四重奏のひとつは、現在のドイツ国歌に引用されています。その理にかなった美しさで、当時ハイドン国一番の作曲家と言っても過言ではないほど絶大な人気を誇っていました

 とは言うものの、ハイドンの曲はクラシックを漁ろうと思わない限り、触れる機会は多くありません。今ではすっかり、後の作曲家たちの人気の影に隠れてしまっています。それでも、次のピアノ曲ぐらいは知っているんじゃないでしょうか。

www.youtube.com

 

 ところでハイドンは、同時代の鬼才たちと交流を深めていました。そのうちのひとり、モーツァルトとは互いに作った曲を献上して才能を称え合うほどの仲だったそうで。ひょっとすると、同じステージに立っていたかもわかりません。ちなみにモーツァルトは英語でフルネームを表記するとWolfgang Amadeus Mozartなので、実質WMです

 

 さて、このハイドンから音楽の手ほどきを受けた人がいます。聡明な読者の皆さんならお気づきでしょう。そう、かの有名な「運命」を作り出した作曲家です。 

 

 

 

 

 

ロマンの扉を叩いたクラシック界の星宮いちご ベードーヴェン

 誰でも知っているベートーヴェン。年末の第九交響曲はもはやジャパニーズ風物詩となってしまいました。世界では第九交響曲を年末に演奏する風潮はないとか。

 意外と知られていないのですが、彼の母親は宮廷料理人の娘で、料理も上手だったらしいのです。もちろん、お父さんがバッハというわけでもなく、はたまた弁当屋さんを営んでいたわけでもありません。さらに残念なことに、ベートーヴェンは父親から鬼の音楽教育を施されていたため、おしゃもじを持ち替えるどころか、生まれたときから楽器を手に取り、その神童ぶりを発揮させられていました。何が「クラシック界をつなぐ きらめくライン」じゃ、と思われるかもしれません。

 

f:id:Tiepp:20190111233806j:plain

L.v.Beethoven(1770-1827)

 

 ベートーヴェンの評判が広まる最中、ハイドンベートーヴェンの才能を察知し、彼を門下に置いていた時期がありました。ハイドンも神崎美月同様に「ここまで登っておいで」と熱い指導を……注げていたわけでもありませんでした。実のところ、ベートーヴェンが門下になっていた時期があっただけで、ベートーヴェン自身はそれほど熱い指導を受けていたわけではないようです。ハイドンが売れっ子で世界中を飛び回っていたため、ベートーヴェンはやや放置プレイ気味だったというのがもっぱらの噂です。

 ここまでくると、もはや「もらうバトン」もないのでは。いえいえ、そんなことはありません。ベートーヴェンハイドンから何も得なかった、というのは早計です。というのも、ハイドンが書いた108の交響曲のエッセンスを、ベートーヴェンはふんだんに利用しているのです。シンプルに言うと理論的に描かれたクラシック音楽を、その型を保ちつつ、より叙情的にしたというところが彼の偉大な点だと僕は思います。例えば『交響曲第5番』の第1楽章。「運命」と副題の付けられた*4この交響曲は、冒頭の4音の形が繰り返し使われているにもかかわらず、非常にドラマティックな展開になっています。皆さんは、「運命」が、有名な冒頭の「4回」の音の組み合わせによって組み立てられていることに気づいていましたか? クラシック音楽は「その歴史を知って聴くとわかることがたくさんある」というところに魅力があります

www.youtube.com

 ベートーヴェンは、死に際にハイドンの生家の絵を見て「こんな小さな家からあのような偉大な人が生まれたのか」という台詞を残した、という逸話があるぐらいです。彼はハイドンの音楽を聴いて「この人を超えなければならない」と直感していたに違いありません。そんな音のロマンが詰め込まれたベートーヴェン交響曲は、ハイドンの時代だけでなく、世代を超えて演奏され続けています。

  実は、このベートーヴェンの音楽のバトンを受け取り、産みの苦しみを味わった作曲家がいます。

 

 

 

 

 

遅咲きの後継者 ブラームス

 ブラームスが生まれたのは、ベートーヴェンの死から6年後。直接的な関わりがなかったものの、ブラームスの才能を決定づけたのは、彼の書いた最初の交響曲ベートーヴェンの第10交響曲だ」と揶揄されたところにあります。

f:id:Tiepp:20190112014627j:plain

Johannes Brahms(1833-1897)

 ブラームスは、演奏家として早くから才能を見出されていましたが、作曲家としては非常に苦労しました。というのもこの人、いわばクラシック音楽のオタクでした。ゆえに、これまで挙げてきた作曲家とその古典的な音楽を崇拝しており、自分の作品が残すに値しないと判断するや否や、五線紙を破くようなことを繰り返していました*5。 

 その経緯について全て話すとなると、178話分などでは到底済まなくなってしまうので控えますが、ブラームスは最初の交響曲を完成させて世に送り出すまで、なんと約20年もかけています*6。参考までに、ベートーヴェンは「運命」を4年ちょっとで完成・初演を成功させています。いや、ベートーヴェンがバケモノってだけかもわかりませんが。兎にも角にも、ブラームスはめちゃくちゃ苦労しました。

 ブラームス交響曲第1番はこちら。「運命」の時代よりも、少し複雑な音の構成になっています。この曲の第四楽章、動画の38分頃から始まる部分を聴いてください。ドイツの山脈を彷彿とさせる、ホルンの長く大きなテーマが過ぎたあとの、弦楽器のシーンがとても重要です。というのも、この部分はベートーヴェンの第九で使われている音の形が頻繁に登場します。なんとなく聴いたことがあるんじゃないでしょうか。

www.youtube.com

 実はブラームスとほぼ同世代の作曲家たちは、遅筆のブラームスを追い越して、どんどん交響曲を発表していました。シューマンブルックナードヴォルザークなどなど、有名な作曲家たちが我先にと交響曲の作曲活動に精を出していたわけです。それなのにどうして、後出しをしたブラームス交響曲ベートーヴェンの再来と謳われたのか。

 ブラームスがここまで時間をかけたのは、大空あかりが星宮いちごのオタクだったように、ブラームスもまたベートーヴェンのオタクだったからです*7。そして、自分がベートーヴェンのバトンを受け取る役割を担っている、と自覚してめちゃくちゃ努力したからなのです。「絶えずベートーヴェンのような巨人が、後ろからのっしのっしと歩いてくるのが聞こえる。その気持ちがどんなものか、君には見当も付かないだろう」なんていうブラームスの言葉も残っています。アイカツブートキャンプで涙を流したあかりちゃんを彷彿とさせますね。そのぐらいに、ベートーヴェンブラームスにとって神様のような存在でした。

 ブラームスはフィナーレにあたる第4楽章で、崇拝するベートーヴェンのモチーフを持ってきました。このあたりの推敲に5年を費やしたというのですから、驚きを隠しきれません。

 そんなブラームスの血と涙の結晶は、結果としてそれまでベートーヴェンを神格化していた聴衆たちの心にブチ刺さり、熱烈な歓迎を受けました。どのくらい熱烈な歓迎だったかって?アイカツ武道館ぐらいですかね*8……。

 

 

 

クラシックのSHINING LINE*はまだまだ続く

 さて、ここまでドイツ3大Bことバッハ、ベートーヴェンブラームスをなぞるような形でご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。ドイツ3大Bはアイカツであることを少しは感じられたかと思います。

 もちろん、ブラームスのその後にも、多くの作曲家がバトンを受け取り、次の世代へと渡しています。この先、僕の人生の推しである作曲家ラフマニノフが19世紀末頃に生まれてくるのですが、その話を始めてしまうと2万字は超えるので割愛させていただきます。ひとつだけ言えるのは、僕の人生の推しはもう死んでしまって会えないけれども、君たちの推しはまだ生きているはずだから、全力で応援してほしいということです。続きは気が向いたら書きます。

 こういうクラシックの歴史があるからこそ今の音楽があるわけでして、ヨーロッパから受け継がれてきた楽器とオーケストラという形式が、日本アニメ音楽の最先端であるアイカツの音楽をどう創り出すのか。2月10日(日)の演奏を楽しみにしようと思います。

 

 

 

 

*1:SS席チケットには楽譜も付いてくるらしい。

*2:この無伴奏チェロ組曲は全部で第6番まで存在しています。

*3:ぐらい、というのは、どうも名前を使っただけの偽作があるらしいからです。クラシック音楽の研究者は、本当にその作曲家が作った曲なのかを確かめる役目もあるのです。

*4:ベートーヴェンが付けたのではない、という説が今では主流です

*5:知り合いの作曲家の奥さんと恋に落ちてメンヘラになっていたりもしました。詳しくは自分で調べてね

*6:年数については諸説あり

*7:ブラームスは自室にベートーヴェンのフィギュアを置いていました。

*8:涙が止まりません