次元の違う「尊い」へ寄せて

 

 

 

 

 

偶像崇拝的「尊さ」

 アイドル文化に触れるようになってから、周りのオタクたちから尊いというミームだかタームだかをよく聞くようになりました。最初にこの言葉が用いられるのを聞いたとき――確か『アイカツスターズ!』における香澄姉妹の姉妹という枠組みを超えたかに思える関係性*1について、Twitter上の老若男女オタクたちが用いていたと記憶していますが――「筆舌に尽くしがたい、高尚とすら感じる昂ぶりの気持ち」を揶揄するのに大変適した言葉だと感じまして、思わず満面の笑みを浮かべてしまいました*2

 

 

 

 この「尊い」について、こんな話を伺っています。「いわゆる"二次元アイドル"に対して『尊い』という言葉を使うのは理解できない」*3と。生身のアイドルは、容姿・才能など私たち人間が意図して配分することのできない諸要素を絶妙なバランスで持つ奇跡的存在であり、三次元アイドルに対する「尊い」には「生まれてきてくれてありがとう」の意味が込められている。一方インターネットを中心に世界を席巻している"二次元アイドル"はコンテンツクリエーターたちによって企図された存在であり、オタクたちに崇拝されるためのデザインを施されて生まれてきたものであるから、奇跡でも何でもない。ゆえに次元の異なるアイドルたちに「尊い」は如何なものか……と、いうわけです。

 

 

 

 なるほどたしかに、言わんとしていることはわからなくもありません。しかしながら私は、今は亡き「フォトカツ」で七倉小春ちゃんに出会い、生きとし生けるすべての物が尊くなった挙げ句、そのステージを見る毎に地球上に存在する水量を遥かに超える量の涙を流し、その涙がやがてアイカツアイランドの海を作ることになった男であります*4。他方かつての歌唱担当たちを追いかけてもいる*5ため、二次元も三次元もドーンとこい、とまではいかないものの好き嫌いはしないように心がけています。

 

 

 

 しかし、さすがに一方を「奇跡でもなんでもない」なんて言われてしまうと、あの黒ネズミが蔓延る夢の帝国は単なるおじさんの陳腐な産物なのか、と問いたくなるのも事実です。あれは具現化して次元を跨いじまってるじゃあないか。次元の違いで「尊い」に差が出るとすれば、「尊い」は一体私達の何を示してるんでしょう。現状の「尊い」についての理解は2つの次元を分断し、生身のアイドル崇拝者たちとコンテンツ崇拝者たちの間に深い溝を作りかねません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……などという対立論調で行くと、皆さんはそこそこ面白いのでしょうが、私はちっともちんぽこ面白くありません。誰がなんといおうと、私は「2次元のオタクも3次元のオタクも同じ穴のムジナ。Q.E.D.したいのです。決して悪事を働いているわけではないのですが、オールオタク=ムジナです*6偶像崇拝的「尊い」が発せられる根源は同じであると私は考えます。

 

 

 

 ところでムジナと打とうとしたところ、ちょっと手が滑ってジーなどというドイツ語を打ち込みかけたのですが、ジークってどこかで聴いたことがあるような……たしか星咲花那さん*7が毎回ライブで歌っている曲の題名に入っているような……

www.classicaloid.net

 

 

 

 さて、聡明な読者のみなさんはきっと頭を抱えているに違いありません。アイカツネタじゃねぇのか。ぜんぜん怪文書じゃねぇぞ。早いとこ記事の最下部まで流し読んでクソして寝たい。そう思っているのではないでしょうか。ブラウザバックやタブ消去、ホーム画面を押すなどする前にもう少しだけ私に時間をくれませんか。怒りよ沈み給え。グッバイ小じわ。一生に三回ぐらいのお願いです。改めて「尊い」とは何かを、一緒に問うてみようではありませんか。

 

 

 

 

 

尊い」語源総括

 そもそも「尊い」というワードには、偶像崇拝の要素は含まれなかったとしても、敬いの気持ちがあったはずです。なんせ「天上天下唯我独尊」という言葉を残したと言われている、かの有名なブッダことGoogleで「尊い」を検索すると、天皇絡みの書籍が多数ヒットします。それから、命や犠牲など人の一生に関わる言葉も付随してきます。かけがえのないもの、というニュアンスも含まれるのかもしれません。こういう記事は辞書で言葉を調べるのが原則のようですがめんどっちいのでネットメディアの記事からこのミームについて考えようと思います。

 

 

 

 「尊い」をオタクの皆さんがどう捉えているのか。ねとらぼの「ねっと用語知ったかぶり」には、「尊い」が次のように紹介されています。

nlab.itmedia.co.jp

 読み方は「とうとい」。キャラクターや作品に対して「萌え」を通り越して信仰心に似た強い感情を抱いている状況を表すときに使われます。「尊い」という言葉はもともと「崇高で近寄りがたい、神聖、高貴」「きわめて価値が高い、非常に貴重」といった意味で一般的に使われている形容詞ですが、二次元コンテンツやオタク向けカルチャーに対して使われることが増えてきているのです。

 用例としては、キャラクター名や作品名と一緒に「○○尊い」と端的に表現されることがほとんどです。このような使い方は2012年にはすでに散見され、2013年で女性オタクを中心に広まり、2014年にはかなり一般的に用いられるようになりました。「尊い」のほかにも「尊み」「尊さ」なども同様に使われています。また、アイドルやジャニーズといった三次元の人物に対しても使われることがあります。

 なお、一説ではネットジャーゴンとして初めて「尊い」が登場したのは、2007年のとある宗教系大学のmixiコミュの書き込みだと言われています。2011年にその表現を広めようとするスレが2ちゃんねるに立てられていますが、現在のような広がりをみせる段階まではいきませんでした。

  女性オタクを中心に広まり、という点が非常に気になるところです。最後の段落での補足は、他サイトでも散見されましたが、ソースが不明なので信用できませんね。

 

 

 

 「ピクシブ百科」は素人さんが編集されているようですが、なかなかオリジナリティある内容になっています。

dic.pixiv.net

 2014年前後になって使われることが増えてきている(と思われる)用語。出所は不明。 pixivのようなネット界隈で使われる場合、「萌える」「妄想が捗る」「シコれる」などと同様に、作品の表現に対して抱く感情のひとつとして使われる。

 要は「マジ素晴らしい」「ほぼ完璧」「最高すぎる」という意味である。

1. アレンジや脳内補完などの手を加える気もなくなるような崇高さ。

また、妄想とか興奮とかいったものをすっ飛ばして、ただずっと見ていたいと感じさせる高貴さ。
2. きわめて高いクオリティ・価値を感じられる
3. そんなものを我々に披露してくれてとてもありがたいと思う
 元々の意味に当てはめて考えるとだいたいこんな感じになる。

 原作およびメディアミックスにおける「この作者(監督)わかってる感」の高い描写や、キャラクター同士のカップリングに対して使われることが多い。

  Pixivでは関係性や作品に対して用いられることを強調していますね。絵がメインのコミュニティであることが反映されている結果でしょう。

 

 

 

  こちらもパンピーさん編集でしょう、「ニコニコ大百科」は次の通り。

dic.nicovideo.jp

 「尊」という文字の意味は尊のページで確認してください。ニコニコ動画、静画においては二次元キャラ、推しキャラに対して付けられる事があり、一人絵でも二人やそれ以上で仲良くしている絵でも見かける。

 最早言葉で言い表すことが出来ない、語彙力を失う、目を覆ってしまう、なんて素晴らしい作品なのだろう等といった感極まる作品に対して感じる事が多く、絶賛・賞賛の言葉でもある。

  Pixivとは打って変わって、こちらはキャラクターに対する感情表現であることが強く前面に押し出されています。

 

 

 

 これまでで「尊い」が市民権を得たのは何がトリガーだったのかについて、これらのサイトからわかることはありませんでしたが、今「尊い」を用いてもコミュニケーションの齟齬が起きるということはほとんどないかと思います。言葉を調べて合点する必要がないレベルまで普及したと言ってもいいんじゃないでしょうか。アイカツフレンズ!』に登場する湊みおさんが「ラブミーティア尊い」なんて言っても、女児たちは深く頷いてくれるはずです。ひとつ確かなのは、この「尊い」が広まっているコミュニティ間で形容する対象にブレがあるものの、言葉が示す意味合いについてはほぼ同義であるということです。一番最初にもってきていた「生まれてきてくれてありがとう」というような意味あいも決して間違いではないでしょう。

 

 

 

 しかしながら個性あふれるミーム紹介サイトに独力記載・転載した意欲あふれる方々も、2次元と3次元の双方で使われるようになったことについては言及していないようでした。これにはこの記事を読むみなさんの知的好奇心もさぞ「うなぎ下がり」でしょう。ところでオタクであるところのみなさんは土用の日にうなぎを食べましたか?うなぎは今や絶滅危惧種だとかなんとかで、そのうちうなぎというものは全て穴子に取って代わられるんじゃないかというのがもっぱらの噂です。はてさて、ここでひとつの疑問が生まれます。尊い」はどんな言葉の代わりとなったのでしょうか。

 

 

 

 


Before 「尊い」 

 「尊い」前史、私たちが推しに使っていた言葉について想いを馳せてみましょう。「好き」・「感謝」・「結婚したい」・「神」などなど。もっと破壊力のある言葉があったような気がしますが、私のオタク力が低いゆえ、この辺で勘弁していただきたい。ちなみに最近私が注目しているミーム「ペロい」です。

 

 

 

 先ほどの章で敢えて挙げなかったサイトがここにひとつ。個人的に一番エッジの効いた表現をしている「通信用語の基礎知識」です。ここにも「尊い」について言及がありました。

尊い ‐ 通信用語の基礎知識

 おたく文化は今も昔も対抗文化(カウンターカルチャー)である。マスコミなどがこぞって「萌え」という語を使うようになると、おたく文化圏ではむしろ「萌え」という語は衰退していった。

 結果、おたく文化圏では、時代が下るほどに「萌える」→「ブヒる」→「シコれる」のように、徐々に動物的劣情が露わな、下劣な表現へと変遷していった。

 ところが2014(平成26)年頃、このような劣情や煩悩を断ち切る「尊い」という表現がうまれ、おたくの愛情表現も遂にインド哲学の境地にへと到達するに至ったのである(おそらく)。同時期に「バブみ」という表現も使われ始めている。

 今もサブストリームの中にいるであろう表現を「動物的劣情が露わな、下劣な表現」と評するセンスに口角が上がってしまいましたが、萌えるはまだしも「ブヒる」・「シコれる」・「シコリティが高い」など、オタクたちはこれらのお下品な表現から脱したい気持ちがあったのかもしれません。今でも聞くことがないわけではありませんが、「ブヒイイィィィイイィィィィィ」という女児アニメ実況家畜たちの鳴き声が小さくなりましたから、前述のような"下劣"な表現は「尊い」が代替した言葉として扱ってよいでしょう。

 

 

 

 

 

 ところで「尊い」について調べていたところ、buzfeed様のこんな記事を見つけました。

www.buzzfeed.com

 KAT-TUNテニスの王子様ミュージカルを経て、オタク歴は9年になるゆきめさん。自分が愛するジャニーズメンバーと「付き合いたい気持ちがありながらも、付き合いたくない」と思っていたときにある言葉に出会います。それが「尊い」。

 「尊い」は、純粋な恋愛感情とは違います。「自分は対象と関わらない上で信仰しているような感じ」。

 「本当に恋愛感情が1ミリもないのかは自分でもわからないんですが、恋愛対象や友達といった自分と関わり合いがある相手ではなくて、舞台の上にいる彼らなんですよね」

 マンガにある「蚊帳の外にいたい」という気持ちは、「舞台上にいる彼が好き」という尊敬の念、母性、愛情と現実思考が絶妙なバランスを表しているのかもしれません。

  このインタビュー記事*8の内容が、今まで挙げてきた中で「尊い」を考える上で一番的を得ている*9のではないかと思います。特に「自分は対象と関わらない上で」というところ。ちょっと話が脱線しますが、いやぁ、母性というのは口に出す度に、良い唇の動きだなぁと思うんですよね。口を閉じてからじゃないと「bo」とは発音できませんから、まず口を閉じてから勢いよく「bo」と出てくるんですがね、そのあと柔らかく包み込むような口の動きで「sei」が来るんです。野性的な「bo」の後に生み出される、なめらかな響きの「sei」がとってもエッチだと思います。言わせたい、母性[bosei]。

  

 

 

 私たちは今、なぜ「尊い」が最上級格のオタク愛情表現として用いられるようになったのか、それが次元を横断して使われるようになったのはなぜかを考えているわけであります。インタビューされているゆきめさんに拠りますと、結婚したい、付き合いたい、だけど絶対に触れることはできない、という部分が大きく取り上げられています。しかし、現実に生を受けているアイドルであれば、絶対に触れることができないワケじゃないはずです。ジャニーズの事情については詳しくありませんが、アイドルは最悪、握手会やお渡し会などの何らかの方法で接近できる催し物があるはずです。制度上「触れられない」というのは致し方ありません。が、もしそういった制度がないにもかかわらず「絶対に触れることができない」と言う言葉が出たとしたら、それはなぜ?

 

 

 

 

 

尊い」という自認ーーフィクションであること。

 話が広がりすぎるとマズいので、これまでの章で見てきたことだけを加味しますが、「絶対に触れることができない」ことに私たちが考えるべき大事なポイントがあるのではないでしょうか。

 

 

 

 まず、特定のヒトやキャラクターについて「美形だ」とか「才能がある」とかで済む話を「尊い」とあえて言う必要について考えましょう。いや、それは手の届かない範疇にあるからであって、という話は先述しましたね。その手の届かない範疇にあるというのは、自分と対象との距離がとてつもなく離れていることを示してはいませんか。つまるところ、自分のほうが圧倒的に「下」である、と。これも証明できるだけの材料がないので憶測の域を出ませんが、アイロニーとして下劣な表現を用いたがる節がオタクにはあると思われます*10。かくいう私も推しを前にしてオットセイ*11になってしまいますしね。チェキ撮ったりするとオウオウオウオウオウオウwwwwwwパァンッパァンッ(チェキをヒレで挟む音)オウオウオウオウオウオウwwwwwwパァンッパァンッ(チェキをヒレで挟む音)。やや、私は野生のオットセイのようにハーレムは作りませんぞ。単推しではありませんがねデュフw

 

 

 

 

 

 私やあなたが「下」であるからといって、アイドル・コンテンツに市民権がないとは言えません。メディア戦略や露出に長けている乃木坂やけやきを筆頭に、所属の有無に関わらず、テクノロジーの発展も相まって、さまざまなグループや個人がアイドルとして活動できるようになってきました。その数や規模も相当で、ひとつのビジネスモデルとして認識されつつあります。その様相が戦国時代と揶揄されることもしばしばです*12

 

 

 私の観点からだとアイドルという仕事は、オーディエンスが誰であれ、自分の夢だけでなくさまざまな人々の憧れや想いを背負って、自分の頑張りを人に還元する仕事です。これは相当にしんどい。*13。私がなろうものなら、雑巾のごとく絞り上げられ、はち切れて、そのまま干されるに違いありません。雑巾といえば、スターライト学園の雑巾に生まれ変わりたいと思うことがしばしばあります。霧矢あおいちゃんにドチャクソ絞られてンギョギョってなってるんですけど、肝心要のあおいちゃんは隣のいちごちゃんと雑巾がけ競争しようって意気揚々と話をしていたり、ちょっと離れてモップ使ってる紫吹蘭ちゃんに「流石蘭さんスタイリッシュ~」なんて手で雑巾がけしないことを煽ってたりするので私こと雑巾については一切気にかけません。それが人生なのです。

 

 

 

 じゃあ2次元サイドはどうなのかというと、クリエイターが意志をもって作っているものと考えることはできましょう。作品やキャラクターに触れる人たちへ向けて、受け手に感じてほしい何らかのメッセージを込めることが大半です。つまりクリエイターの仕事というのは、自分が描きたいことを作品やキャラクターを通して受け手に伝える仕事であると言えましょう。しかもその過程というのは、尋常ではない時間と労力を割いています。人的リソースもまた然りです。ちなみに私は「優しい僕」というエゴにまみれた題名を持つ小学生時代に作った自画像を持っていますが、私に全く似ていません。どちらかというと和田アキ子に似ている。

 

 

 

 さて「尊い」の手の届かなさは、そういった作り手側から遠く離れた自分たちにのみあるわけではありません。ステージに立ち歌い踊る姿や画面の中でいきいきと動くその姿は、そのヒト・キャラクターの素の姿といえるでしょうか。答えはNOだと私は思います。気の抜けた姿やオフショットが喜ばれるのは、普段同じ生活領域に立つことのないファンたちが彼・彼女たちの日常――私たちにとってはステージの外・貴重な素を覗き見ることができるからでしょう。

 

 

 

 要するに、アイドル=コンテンツはすべからくフィクションです。偽物だと言いたいわけではありません。誰かがデザインしないとフィクションは生まれません。2次元だろうと3次元だろうと、誰かが、誰かのために、デザインしたものなのです。プロデューサー(セルフプロデュースも有りますね)やクリエイターが作り上げたものを私たちは享受している、ということを忘れてはなりません。

 

 

 

 フィクションであることを受け入れたとき、私たちの心の中にはいろんな感情が渦を巻きます。わかっているんです、絶対に届かないことを。だけど望んでしまう。手を伸ばしたいと思ってしまうこれこそが「尊い」が誘う世界なのです。逆に言えば、フィクションを受け入れたときに悲しみや虚無感のみしか感じない人たちは、アイドル=コンテンツにコミットすることをしないんだと推測します。その意味で、「尊いッ!!」と大声で叫んでいる人たちは、しっかりとフィクションに向き合う姿勢を備えているんじゃないでしょうか。私も上花楓裏さん*14のアイドル状態時が大好きで足を運んでしまいますが、皆さんは?

 

 

 

 

 

 

「尊さ」は新たな次元を紡ぐか

 身の危険も考慮してあえてぼかしますが、どこぞの国の天皇や王子だって、よくよく考えてみればデザインされてます。「尊い」というのは実は、そういうフィクションにコミットしたときに生まれる気持ちなんじゃないか、と私は思っていたわけです。だから3次元の方が尊いだとか2次元の方が尊いだとか四の五の言わずに全部尊いんでよくないですか。すべての命・モノ・コトをリスペクトしよう。地球に感謝。などと言いながら私は昨日の方向へと中指を立てつつ、この記事を粛々と書いているわけです。どっちみち世界はフィクションに溢れてるってのにそこにコミットして何が悪いというところと、リアルであろうとアンリアルであろうとプロデューサーやクリエイターへの尊敬の眼差しなしに私たちの世界は生まれないというところ。この2点が言いたかった。

 

 

 

 最近では、2.5次元アイドルなんて呼んで、メディアミックス展開を見せるアイドルグループも存在します。この記事を書くにあたって少し調べたのですが、2.5次元ミュージカル協会なんていう社団法人もできてるぐらいですから、この次元の狭間を使ってどっぷり浸かることのできる深い沼を作ろうという意志を強く感じます。「尊い」と思ってもらえるようなコンテンツづくりにぜひ励んでいただたいものですね。ギャグ漫画日和の舞台楽しみにしています。

 

www.j25musical.jp

 

 

 

 

 Q.E.D? 以上。おしまい。注釈も見てね。

 

 

 

 

 

 

 

*1:姉妹愛ってそんなに良いですかね?実存するんでしょうか。あ、しましたね。失礼、しましたわ。あ~~~しました、思い当たる青春の1ページがありましたね、ハァ~~~~~ありましたわ~~~~~~ちなみに僕はOVA少女セクト』の姉妹セッを100マン回見ました。

*2:気に入った言葉をその日のうちに使うようにするとボキャブラリーが増えるよ。みんなも試してみよう。

*3:ハロプロに造詣の深い私の相方もこの立場にあります。ちなみに私のtwitterアカウントはブロックされているので安心です。

*4:昨今の異常気象も私のせいであるような気がして、非常に責任を感じています

*5:

aikatsu-tiepp.hatenablog.com

*6:は?

*7:

twitter.com

*8:本当にインタビューしたかどうか、というのがわからないのがインターネットの記事の怖さなんですよね。これがまともな論文であればいついつにどこで誰からインタビューしたのかを記載する必要があります。ソースに信憑性をもたせるためです。

*9:これは本当につくづく思うんですが、女オタクの方がボキャブラリーだとか感情表現については得意っぽいですよね。女オタクの皆様、いつもありがとうございます。Twitterを意地でも続けてください。お願いします。

*10:アイドル=コンテンツへの自らのコミットを滑稽に仕上げることで、世間やインターネット、ひいては人間社会との距離感を測ったり、身体を張った発言で自分の趣味趣向が尖っていることを示したりするわけです。

*11:

オットセイ - Wikipedia

*12:

webronza.asahi.com

*13: アイドル=コンテンツについて、多くの人が下劣だと思うのであれば、そこに参画している人たちはマイノリティのままで終わっているはずです。もちろん、下劣さの中にある芸術性や神秘性に魅入られた人たちもいます。キース・ボードウィという画家は肛門から絵の具を勢いよく噴出させて偶然性含めアートに仕立てあげようと企てています。クリッシー・コナントという女性に至っては、自分の卵子キャビアに見立てて、それを展示したことがあります。ちなみに私はかつて、美術の教科書に乗っているアルマジロを「最も臭そうだ」という理由で銅版画にし、絶妙な色彩の歪みと精巧に彫られた鱗でもって学校から推薦を頂き、市の展覧会にその臭みが展示されたことがあります。

*14:

twitter.com