ASA-CHANG&巡礼の「花」を聴いてください 

 目次

 

 

 

 

 

0, プロローグ 

 先日、秋葉原の某アニソンLIVEの会場でASA-CHANG&巡礼の「花」が紹介された際に、会場はもうコレ以上ないほどのボルテージに包まれて、オタクたちがチンパンジーのごとく飛び跳ね……

 

 

 

飛び跳ねてる人が

ほとんどいなかったんですね。

 

 

 

 なにしろこの曲名が挙げられた時、会場で熱狂的混乱を受け入れていたのは私ただ一人だったんですからね。小さく「ア……ソレ……」と陰キャ感たっぷりに言うしかなかった*1。私は会場のクールな雰囲気にのまれ、ただただ戸惑うオタク=オランウータンでした。

 

 オタクたちの狂喜乱舞が見れなかったことに私は多大なるショックを受けました。そのときのショックから私は深い心の傷*2を負ってしまいましたが、その治療のためにもはてなブログで「花」を礼賛する記事を書こうと思った次第なのです。最悪、下にあるYoutubeのMVだけでも聴いて帰ってください。

 

 

 

 

 

1, ASA-CHANG&巡礼の「花」ってそもそもなんですか

 あの場で「花」はアニメ『惡の華』のEDテーマとして紹介されていたのですが、実はこの曲には2つのバージョンが存在しています。『惡の華』のEDテーマバージョンであるところの「花 -a last flower-」と、オリジナルとも言えるバージョンの「花」です。前者はタイアップ作品のテイストに沿う形で滑稽さや邪悪さ、陳腐さが感じられるようなアレンジになっていて、これはこれでおもしろいです。が、私は「花」という楽曲の本領が後者のバージョン(以下オリジナルと私が言う場合は、この後者のバージョンを指す)にあると信じてやみません。

 

 私はこのオリジナルの「花」が死ぬほど好きなんです。少なくとも100回は聴いています。理由はいろいろありますが、胡散臭さ満載であることを承知の上であえて言いますと、「生への執着」という従来からのテーマを新しい形で作り上げているところだと思います*3

 

 もしも「まだこの曲を聴いたことがない」というのであれば、まずは一旦先入観なしで聴いてもらいたい。音質は悪いですが、YouTubeにMVごとアップロードされていたので、これを紹介します。


花 【hana】

 

 

 

 

 

2, ASA-CHANG&巡礼の「花」に触れましたね

 最初にこの「花」を聞いた時、とてもセンチメンタルになってしまいました。と同時にあまりの狂気的エネルギーによって、打ちひしがれていました。全く聴いたことのない音楽の世界でした。冒頭を聴いたところ機械的に感じてしまうけれども、聞こえてくるリズムが打ち込みだとは到底思えない。そこで私はまず、この曲がどのように演奏されているかを調べました。

 

 少なくともわかったのは、この曲が以下のようなシステムで演奏されている、ということでした。まず朗読され録音された詩が単音でブツ切りにされ、各々が短い音符のような形でシーケンサーに登録されます。そのシーケンサーと電気的に接続された生の打楽器があり、それが叩かれると同時にシーケンサーが反応して、一文字一文字発音がなされるという仕組みのようです。つまり、一度叩く=一文字発音、もう一度叩く=次の一文字を発音。ということらしい。

 

 この時点で僕は、この人たちがやろうとしていることは常軌を逸していると思いました。頭がイカれていると思いました。どうしてこれが音楽として成立するってイメージがあったんだろうか。意味がわからなすぎて、自分自身のケツから新しい私が産まれてくるのを感じました。

 

 

 

 

 

3, ASA-CHANG&巡礼の「花」から音世界を見ましょう


 さて、曲の全体像は次の通りです。

 

 まず最初に聴こえてくるのは、単調でどこか悲哀を感じさせる弦と、静かに鳴り続ける中低域のシンセ音。全体を通して、このミニマルさが曲を支配するかのように継続していきます。

 

 しばらくすると、弦とシンセの響きに対して、やや曖昧なリズムでもって打楽器が参加してきます。先述のように、打楽器が叩かれるとシーケンサーから一文字一文字発音がなされます。初めて音を出す打楽器によって「は・な・が、さ・い・た、よ」という機械的かつギリギリのところで意味の通じる言葉が放たれます。その後も打楽器は発話を続け、その言葉らしきものは男女両方の声で再生され、時折男女が分離したり、かと思えばユニゾンしたりするのです。

 

 打楽器によって発される文字は、つながりとイントネーションを極限まで破壊され、発音のタイミングにすら時間的な断絶があります。言葉の意味が自然に入ってこないので、人間的な情もそこからは感じられません。本来であれば明るい意味合いを持つ「花が咲いた」という詩とは裏腹に、不気味さを伴う音韻にすらなっているんです。

 

 中盤、打楽器が高揚を始めて、エラーのような同じ音韻の連打や、打楽器による文字の高速詠唱宇宙的一時停止が挿入されます。最初のうちはもはや理解不能の領域かもしれません。音が鼓膜を震わせ、繊毛を刺激し、シナプスが発信され、文字を認識する前に次の音が到達してしまいます。文章が完成しその意味を理解できる前に、ワンフレーズが終わってしまうんです。

 

 打楽器はそのまま落ち着きを取り戻すことなく動き続け、それまでの男女の声に加えて、子供たちの声や不特定多数の多くの人々の声までも発するようになります。「花の不屈の心に光が笑ってくれるように……(中略)……闇に生かされぬように」など、光と闇という暗示的な言葉の対比が目立つようになると、シンセと弦の音がオクターブで重ねられて、曲はクライマックスへ。

 

 中盤とはまた異なる意味合いを持った鬼気迫る打楽器の連打によって、切断された言葉に音としての存在意義だけでなく強烈なまでの「生への必死さ」が加えられるのです。冒頭で機械的にすら感じていた音=言葉に、人間味すら感じられるようになっているのが、この曲のひとつの魅力でしょう。これはまるで、生きる希望を必死に探し取ろうとする、無名で平凡ですらない者たちのもがき

 

 そして楽曲の最期は、海へと沈んでいくような静寂さを伴い、子供の声でもって次のように締めくくられます。

 

 

 

 

 

「光はいらねぇ、水をください」

 

 

 

 

 

 もう、ね?マジ尊いでしょ?わかる?エモいとかいう低俗な言葉だけじゃ表しきれないじゃん?心のオーガズムが止まらないっしょ?演奏のシステム自体が無機質な歌から人間味を引き出すための仕掛けだったってことが手に取るようにわかるじゃん?祈りながら、聴こえてくる音に向かっておデコ床につけなきゃいけない気分にすらなってくるでしょ?

 

  

 

 

 

4, ASA-CHANG&巡礼の「花」を聴いて飛び跳ねるな

  ここまで見てきてようやくわかりました。いいですか皆さん。この記事の冒頭で私は「飛び跳ねている者が一人もいなかった」ことを嘆き悲しむような内容を記しましたが、これは「花」という楽曲を普段こよなく愛している人たちの至極まっとうな反応だったのです。つまり、アニディアVol.2の会場で「花」を聴いたことのない人たちはいなかった。楽曲名を聴いて心身が合掌をしていたと、そういうことだったのです。なんと私が愚かだったことでしょうか。自らを恥じるばかりです。今日もこの「花」を聴いて、深い眠りに就こうと思います。

 

 

ご静聴ありがとうございました。

 

 

ASA-CHANG&巡礼については皆さんそれぞれで調べていただけるとありがたいです。
同様のシステムを使ったユニークな作品が他にもたくさんあります。

 

 

 

 

*1:あとで紹介してくれた御本人様に「それッ!!!って言えなくてすみませんでした」って謝ったんですが「言わなくていいわ」と一蹴されました

*2:PTSDの片鱗に触れるにあたっては『アメリカンスナイパー』という映画を見ることをオススメします。

*3: